日本の難読地名と由来~秋田編~
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日本の難読地名と由来シリーズでは難読地名の由来について諸説も含め、
説話として残っているのを紹介しています。
目次の秋田県の難読地名では住所と由来が残っているのを、番外編では住所では残ってないのや由来は不明で代わりに関連ネタを紹介しています。
秋田県の難読地名と由来
八橋(やばせ)
住所
【由来】※諸説あり。
1.平安時代に征夷大将軍・坂上田村麻呂が放った矢が
たどり着いたという故事から「矢走り」が変化したという説。
2.川に小さな橋が八つ架かっていたからという説。
秋田市裏ガイド(4)橋が7本なのに「八橋」|秋田魁新報電子版
川反町(かわばたまち)
住所
【由来】
藩政時代は「川端」だったものが、「川反」に変わった。
理由は旭川の東、武士町から見て「川の反対側」で
あるため「川反」と呼ばれ始めたらしいです。
秋田の歓楽街『川反』!川から反っての川反なのかな?! | yuiwata-archi.net
秋田最強の大繁華街『川反』界隈を歩く | Nostalgic Landscape
塩干田(しおからだ)
住所
秋田県能代市塩干田
【由来】
「塩干田」は「シオ」は砂鉄、廃砂
( ダム湖の底にたまった土砂)の意味。
「カラ」は干しあがる、堆積するの意味。
「ダ」は場所を指している。
狙半内(さるはんない)
住所
【由来】
サルハンナイ(サルパナイ)は、アイヌ語で
「沢の上流にある葦原」という意味です。
また、滝ノ下には上流に滝があり、これより上流に家を
作ってはいけないという伝説があり、今も守られています。
横手市上畑・滝ノ下 | ムラのページ | 秋田県のがんばる農山漁村集落応援サイト
部垂町(へたれまち)
住所
【由来】
常陸(現在の茨城県一帯)の佐竹氏に従って秋田入りした際、家臣集団「部垂衆」の居住地を「部垂町」と命名したと伝えられている。
大館市と常陸大宮市(旧大宮町)の防災協定 | 床屋さんの独り言 「徒然なるままに」
笹子(じねご)
住所※上笹子と下笹子がある
【由来】※諸説あり。
1.「笹の実」の古い呼び方である
「自然粳(じねんご)」から来ているとの説。
2.「しね・こ」からきており、よじれたような鄙びた
土地の意味。
由利本荘市上笹子 | ムラのページ | 秋田県のがんばる農山漁村集落応援サイト
二十六木(とどろき)
住所
【由来】
車馬、流水などの音がとどろくさま。その地。
文字は当て字です。
また、「二十六木」を分解すれば「十十六木」となり
“とどろき”に行きつきます。
「二十六木」「廿六木」「十々六木」等と書いて「とどろき」と読む地名が各地にあるが、由来が知りたい。ど… | レファレンス協同データベース
笑内(おかしない)
住所
【由来】
アイヌ語の「オ・カシ・ナイ」(川下に小屋のある川)
また、少し表現は違いますが、笑内はオ・カシ・ナイで
「川尻に・仮小屋ある・川」としている。
しかし笑内の集落には、現在これといった大きな沢は見当たらない。
象潟(きさかた)
住所
【由来】
きさ貝(赤貝の古名)がよく捕れた潟から来ている。
「きさかた」が最初に登場するのは『延喜式』 (927年) においてである。
この時の表記は 「蛸方」 である。
その後、8世紀後半ごろと見られる漆紙文書には 「蛸形」 と出ている。
一方、現地調査ではきさ貝は発見されていない。
西馬音内(にしもない)
住所
【由来】※アイヌ語とされているが定説はない。
古代には読みが「にしまおんない」であったとの説もある。
また「おんない」は扇状地のような地形をさすことばで、
渓谷が開ける地形をさすとする説もある。
秋田県内には「毛馬音内」(けまない)等の地名があり、すべて地形的には合致するといわれている。
番外編
馬口労町(ばくろうまち)
住所
馬口労町通り商工振興会
【由来】
馬の売買やあっせんをする馬喰と呼ばれる人々が他藩からもたくさん集まり、数百頭の馬がいたことから。
記録も残っている。
また、秋田県内には読みが同じ「馬喰町」があります。
「馬喰町」ですと全国に読みは少し違いますが、文字が同じのが全国に何か所かあります。
機織轌ノ目(はたおりそりのめ)
住所
【由来】不明:轌を使う地域で地名にも使われるようになった可能性。
過去の難読地名シリーズでも紹介したサイトしか
出て来ませんでした。
秋田県内外の「そり」に関する地名が載っているので、
気になる方は見てください。
真偽は不明だが、秋田の機織ネタを二つ見つけました。
【由来】
1.米代川の近くに機織という村がある。
秋田城之介が領主のとき、都の方から流れてきた機織りにたけた女性を岸辺に住まわせ絹布を織らせたということから名づけられた土地の名である。
2.ヒヤ潟
国見峠の下に「ヒヤ潟」と呼ばれる小沼がある。
昔、父と娘が山で狩りをしながら里で食べ物に代えて暮らしていた。
娘は機織をしたかったが、肝心の梭(ひー横糸を通す道具)がなかった。
ある日、沼で梭に似た白く光るものを見つけ機を織る。
娘の機織の音は美しかった。
噂を聞いた若者が梭を見せてくれと訪ねて来る。
見せると「俺の角だ!」と龍の姿で沼に消えた。
「私の梭を返して!」と叫びながら娘も沼に飛び込んだ。
それから、この沼のほとりを機に関するものを持って通ると
沼が荒れ、渦が起きた。
梭を嫌がる潟「梭嫌潟」が訛って「ヒヤ潟」となった。
また「機織姫沼」とも言う。
地名こぼれ話26・「ソリ地名」の数々「橇・轌・反・曽利…」 | 壁紙自然派 – 楽天ブログkasibaka.hatenablog.com
秋田以外の東北難読地名