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日本の難読地名と由来~宮城編~(前編)※過去記事を前後編に分けました。

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日本の難読地名シリーズ第4弾、宮城編です!

 

 

例に漏れず、今回もこちらのサイト様

東北地方の難読地名一覧 - Wikipediawを参考に調べましたが、調べる前から今までとは別の面倒な予感が的中してしまいました・・・・・・・。

 

現在は住所として使われてない地名があってどう書くか悩んだり、後は、思いのほか、書きたいと思った由来が多くて更新に時間が掛かりました。

 

まあ、一番は私生活が忙しかったり、気持ちを奮い立たせるのに時間が掛かったのが大きな理由です。

 

時間は掛かりましたが、情報量ないし文字数は難読シリーズでは一番多くなったと思います!

 

文字数が約8000文字と多かったので前後編に分けて紹介します。

 

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 宮城県の難読地名と由来

 

 覆盆子原(いちごはら)

 

住所

宮城県伊具郡丸森町覆盆子原

 

【由来】「覆盆子」とは「枕の草子」に出てくる「きいちご」のことです

この果実の実がとれたあとのくぼみを逆さにすると「お盆」に見えたことに由来する。

いちごとこの地の関係性は不明。

「食べ物」の地名

枕草子 - 知泉Wiki

 

 

 

霊屋下(おたまやした)

 

住所

宮城県仙台市青葉区霊屋下

 

【由来】伊達家三代(政宗、忠宗、綱宗)の霊廟が造営された御霊屋(おたまや)の下に位置する地区であることからそう呼ばれるようになり、時代が下るにつれて「御」の字が省かれるようになったものです。

霊屋下・米ヶ袋 シリーズ・クローズアップ仙台

 

 

 

 

将監(しょうげん)

 

住所

 宮城県仙台市泉区将監

 

【由来】伊達政宗に仕えた仙台藩士の横澤 吉久(通称、横澤将監)から来ています。

横澤将監は伊達政宗の命を受けて南欧に渡った支倉常長を迎えるため、1616年(元和2年)サン・ファン・バウチスタ号の船長の任を受ける。

帰路に立ち寄ったマニラ(現フィリピン)で改宗しキリシタンとなり、1620年(元和6年)帰国。

その後、仙台藩キリシタン弾圧が強まったため、棄教し迫害は免れた。

現地には「将監風致公園」があり、別名「将監沼」あるいは「将監堤」がある。

 

また、「将監」と似ている「将監殿」は全く別である。

「将監殿」は伊達治家の記録によれば、慶長18年(1613年)に伊達政宗の命を受け、支倉常長がローマに渡るための船を建造することになり、当時の戦国武将で造船技術に優れた才能を持ち、後の徳川幕府で水軍の将となる「向井将監殿忠勝」が登場します。

忠勝の協力により、建造されたサン・ファン・バウチスタ号で、常長は無事ローマに渡ることができ、忠勝は政宗よりこの功を認められ、拝領した土地が、現在の将監殿ではないかと推測されています。

将監の歴史 - 「将監沼の自然」とふれあいを育む会

将監風致公園 - Wikipedia

横澤吉久 - Wikipedia

将監ニュータウンについて - 将監出身ですが故郷を離れて18年です。なんで将監... - Yahoo!知恵袋 

将監殿の町名由来

 

 

 

 

秋保(あきう)

 

住所

宮城県仙台市太白区秋保町湯元

 

【由来】諸説あり。
1.平安時代にこの地を治めていた「藤原秋保」という人物にちなむという説。


2.詩経あるいは易経にある「百寿ノ秋ヲ保ツ」という長寿を意味する言葉から来ているという説。


3.秋保大滝は秋保の象徴であるが、アイヌ語では滝のことを「アボ」といいこれにちなむという説。


4.秋の景色が特に優れているところからきたという説等。


秋保の名は古くから知られており、「古今和歌集」や「新古今和歌集」等にも「秋保の里」とうたわれているそうです。

 

 

 

榴岡(つつじがおか)

 

住所

宮城県仙台市宮城野区榴岡

 

【由来】名前の由来は榴岡公園付近の段丘一帯がツツジに覆われていたので「つつじがおか」と言われるようになった

もとは「躑躅岡」、または「山榴岡」と表記されていて、どちらも読みは「つつじがおか」だった。

躑躅岡」は画数が多いので、のちに書きやすさから「山榴岡」の山を略し「榴岡」の表記が広まり、現在に至る。


榴ヶ岡」の「ヶ」が付く表記の方が古く、昭和末期の区画整理の時に「ヶ」の付かない「榴岡」に統一されたが、地元の住民たちから「ヶ」の付く方も残したいという意見があったため、「榴ヶ岡」の表記も残っているようである。

「つつじがおか」の地名について、榴ヶ岡、榴岡、榴が丘等いくつかの表記があるが、それぞれの由来について... | レファレンス協同データベース

 

 

 

七ヶ宿(しちかしゅく)

 

住所

宮城県刈田郡七ヶ宿町

 

【由来】江戸時代、羽州街道奥州街道を繋ぐ道に

「上戸沢」・「下戸沢」・「渡瀬」・「関」・「滑津」・「峠田」・「湯原」の七つの宿場があり、この街道を「七ヶ宿街道」と呼んだ名残。

七ヶ宿町 - Wikipedia

七ヶ宿町・歴史・観光・見所

 

 

 

遠刈田(とおがった)

 

住所

宮城県刈田郡蔵王町遠刈田温泉

 

【由来】開湯は約400 年前の1601 年(慶長6 年)とされるが、そのはるか以前、金商人の「金売橘次」によって開かれていたとも伝えられる。
古くは「湯刈田(とうがった)」を地名としていた。
そのため現在でも「遠刈田」の読みは「とおがった」と「とうがった」の事実上2 つ有ると言って良い

 

遠刈田も関係した「大カニ」と「大ウナギ」の伝説も面白いですよ!

http://www.sanjirou.co.jp/story/

 

 

 

鬼首(おにこうべ)

 

住所

宮城県大崎市鳴子温泉鬼首

 

【由来】※諸説あり。

1.平安時代陸奥国の酋長だった大竹丸は、征夷大将軍坂上田村麻呂との戦いに敗れ、捕らえられて斬首されました。
その首は遠くへ飛びたって、岩に噛み付き無念の声をあげたといいます。
以来、その岩のある地域を鬼切部(おにきりべ)と呼ぶようになり、やがて鬼首となって今に至っています。

 

2.安倍頼時の軍と陸奥藤原登任藤原登任は敗北し後に源頼義陸奥守兼鎮守府将軍に就任する)の軍が戦った場所が鬼切部、現在の鬼首である。

観光スポット | 【公式】宮城・鳴子温泉郷鬼首のリゾートパーク・ホテルオニコウベ

「鬼首」の地名の由来

 

 

 

桃生(ものう)

 

住所

宮城県石巻市桃生町太田

 

【由来】平安時代中期に作られた辞書の和名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)(一般には和名紗)の中に

「毛牟乃不(モムノフ)」とある。

「毛牟乃不」は元々、アイヌ語のモムヌプカから来ており、意味は流域の丘と言われている。

桃生町ホームページ

NAGATA ACOUSTICS NEWS

和名類聚抄 - Wikipedia

 

 

 

閖上(ゆりあげ)

 

住所

宮城県名取市閖上

 

【由来】元は「名取の浦」と呼ばれていましたが、ある時、里人が海からやってくる光るモノを見つけました。
何かと思って行ってみると、流れ着いたのは藤のいかだに乗った、霊験あらたかな十一面観音像でした。

それ以来、名取の浦は、観音様が“ゆりあげられた”浜ということで『ゆりあげ浜(淘上浜または揺上浜)』と呼ばれるようになったそうです。

当時、熊野那智の神様を陸奥国(今の東北地方)に分霊するべく、観音像を乗せて陸奥国に出帆下向した御船が多かったそうで、嵐で難破した船が名取の浦に偶然打ち上げられた可能性があり、観音像もそうした物の一つと考えられる。

 

 

※現在の「閖上」表記には諸説あり。

1.1697年、仙台藩主・伊達綱村が大年寺の落慶に参拝しての帰途、東方に見えた波打つ浜を

「あれは何というところか」と問うたところ、近侍のものが「『ゆりあげはま』にございます」と答えた。

重ねて「文字はどう書くのか」と問うたところ、「文字はありません」と答えた。

これを受けて綱村は、「門の内から水が見える故に、今後は門の中に水と書いて閖上と呼ぶように」と言い、仙台藩専用の「閖」という国字が出来た。

 

2.綱村が閖上を作った1967年より前の1652~1654年にこの淘上浜(揺上浜)の村は度々、火災の被害に悩まされていました。
その為、浜に近い法印塚より部落内に遷座(せんざ)した水門(みなと)明神に神託を乞うたところ、神名を地名にすれば長く火災を除くことが出来るという、お告げを受けました。
そこで神名の水門に『閖』の字をあてて、その頃使われていた「淘上(揺上)」を「閖上」に改めたという説。

 

閖上 - Wikipedia

閖上の由来について・・・ : なとり観光盛り上げ隊"なとれんじゃー”

 

 

 

愛島(めでしま)

 

住所

宮城県名取市愛島笠島

 

【由来】明治時代に、笠島・北目・小豆島・塩手の四ケ村が合併した際に、北目の「メ」・塩手の「デ」・笠島と小豆島の「シマ」とを合わせて「メデシマ」の呼称を得て、それに愛島の字を当てたもの

 

参考サイト様では名取の由来も紹介されており、和名類聚抄に『奈止里郡』とあり、由来はアイヌ語で意味はヌタトリ(湿原)とされています。

愛島・名取の地名由来 ( 宮城県 ) - 古代文化研究所 - Yahoo!ブログ

 

 

 

渡波(わたのは)

 

住所

宮城県石巻市渡波

 

【由来】※諸説あり。

1.安永年間(1770年代)に書かれた『風土記御用書出』に「波折渡之渚村」といわれたのが渡波になったと記載されてるそうです。

「波折渡之渚村」の意味は、万石浦の入り江口で、波が折り返していたために砂丘が生じ、それが陸地化していった土地とのことです。

 

2.渡るの語源といわれるアイヌ語のワッタラが入り江を渡るという意味のワッタリとなり、それがワタノハに転訛したというものです。

石巻市渡波 地名の由来|特急22のブログ

渡波の地名由来: みちのく遠島物語

 

 

 

越河(こすごう)

 

住所

宮城県白石市越河

 

【由来】「山を越える処」を意味する「越郷」「越河」に由来する。

「越河」の地名の由来

 

 

 

色麻(しかま)

 

住所

宮城県加美郡色麻町

 

【由来】平安時代中期(承平年間931年 - 938年)に作られた辞書の「和名類聚抄」に「之加萬」とふられ「シカマ」の訓が与えられており、室町時代から昭和初期にかけて出版された国語辞典の節用集にも「しかま」と書かれているそうです。

色麻町の歴史 - 色麻町役場

和名類聚抄 - Wikipedia

節用集 - Wikipedia

 

 

 

塩竈(しおがま)

 

住所

宮城県塩竈市

 

【由来】海水を煮て塩をつくるかまど(竈)のことを「塩竈」と言い、塩竈がある場所として有名だったため。

 

また、塩竈という地名のほかに、国府津(『こうづ』と読み、国府の港という意味)とも呼ばれていましたが、塩竈神社が、陸奥国の総鎮守(多賀城から見て東北の方角に位置する鬼門を守る意味がある)として建てられ、信仰を集めるようになり、国府津よりも塩竈の方が地名として定着していったものと言われています。

塩竈市/「塩竈」についてのミニ知識

 

感想

 

 

将監と将監殿が別の人だったりと色々発見が多かったです。

情報も多く、由来も興味を惹くのが多かったので面白かったです。

 

 

後編はこちら

kasibaka.hatenablog.com