日本の難読地名と由来~栃木編~
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日本の難読地名と由来シリーズでは難読地名の由来について諸説も含め、
説話として残っているのを紹介しています。
栃木県の難読地名と由来
駒生(こまにゅう)
住所
栃木県宇都宮市駒生
【由来】
当地で宇都宮氏が駒(馬)を飼育していたことによると
いう。
「 宝木地域データブック – 宇都宮市立図書館」を参照
徳次郎町(とくじろうまち)
住所
栃木県宇都宮市徳次郎町
【由来】
当初は『外久次良』(とくじら)の地名だったが新田徳次郎昌言がこの地に徳次郎城を築いたことに因んで漢字を
当てて『徳次郎』(とくじら)としたため、後世に
『徳次郎』の文字だけが一人歩きし『とくじろう』と
誤読されたと云われる。
当初の「外久次良」の由来については、日光の久次良氏(久次郎氏)の外領ということで、外久次良
(外久次郎=とくじら)とされた。
五十部町(よべちょう)
住所
栃木県足利市五十部町
【由来】
古代の余部郷にちなむと言われている。
足利郡余戸郷(栃木県)(一般提供情報) – 千年村プロジェクト
鐙塚(あぶづか)
住所
栃木県佐野市鐙塚町
【由来】※諸説あり
1.伝承によると、建武2年(1335年)に亡くなった
尊雲法親王の首を埋めて塚としたのを、村民が尊んで
阿武塚と呼んだのに由来すると言われている。
2.アブは、アバの転で動詞アバク(褫く)の語幹であり、
崩壊するという意です。
ヅカはツカで小高い丘、台地を意味します。
鐙塚は三杉川の氾濫によって浸食を受けた崩壊地に
由来する地名ではないかという説があります。
樅山(もみやま)
住所
栃木県鹿沼市樅山町
【由来】
樅の木がある山という意味。古くは籾山と書いたようです。
その由来は、西山の岩穴に村人たちが、籾を貯蔵して
置いたのが籾山の地名の起こりであるとも言います。
http://a11234842.travel-way.net/002.kanumanotimei08.kikuti.html
小来川(おころがわ)
住所
栃木県日光市西小来川
【由来】※南北朝時代の南朝の武将が読んだ歌が由来になっています。
サイトによって少し情報が違うのでどちらも載せます。
1.14世紀の南北朝時代の後半、南朝の藤原藤房公が小来川に来た時、薬師堂の丘から眺めた景観を見て
「湧き出でし 水上清き小来川 真砂も瑠璃の光をぞ添う」
という和歌を詠まれました。
この「小来川」の文字が地名の由来となっています。
円光寺 |歴史|ノミネート地域資源|あなたと選ぶ!日光ブランド
2.南北朝時代に南朝側の武将がこの地に落ちのび、
「河川小さく来る里」と形容したことに寄るもので、この人は
「湧きいでし、水上清き小来川、真砂も瑠璃の、光ぞを慕う」
と言う歌を残していること、そしてこの辺では黒川を
小来川とも呼ぶ。
地名の小来川の由来は分かりましたが、「小来川」自体の
由来や意味は分かりませんでした。
ただ、黒川の由来は分かりました。
水源の黒沼によるもので、クロは小高いところの意味が
ありますが、この沼の水は鉄分を含み、出水のときは
赤黒く見えるので、その名がつけられたと伝えています。
http://a11234842.travel-way.net/002.kanumanotimei21.kikuti.html
神鳥谷(ひととのや)
住所
栃木県小山市神鳥谷
【由来】※諸説あり。
1.武井佐久三著「地名の由来「神鳥谷(しととのや)」考」
「しとど(古くはシトト)巫鳥・鵐と書いて、小鳥の名。
ホオジロ・アオジの類で、みこどりともいう。
巫鳥の巫女は、神に奉仕する人だから、神を当てて神鳥と表記し、神鳥谷をシトトノヤと読むようになったの
だろう。
また、仮にホオジロ・アオジの類をシトドと称したとしても、これらの繁殖地は北海道で、本州では旅鳥・漂鳥なのだから、やはり可能性が少ない」とあり。
2.『大日本地名辞書 6 坂東』
「神鳥にシトトの訓あるいは、和名抄、巫鳥を之止止と註し、
天武紀、并びに漢語抄に出づ。
而も古語拾遺に、巫占者の名に、之止々鳥てふがあるを
思ふに、シトトを神鳥と為すは、神占の故事に因れる者とす」とあり。
3.『とちぎの地名を探る』
「小山市域に「神鳥谷」という大字名がある。
これはシトトノヤ(ヒトトノヤともいう)と呼ぶ難読地名の一つである。
この地名が文書に見える最初は、天文5年(1536)11月で、
「しととのや」と記録されいる。
だから後世になってヒトトノヤとも呼んで混用しているのは誤りである。
神鳥谷は「シトト・ノ(助詞)・ヤ」という地名である。
シトトは副詞シトドと同じで、甚だしく濡れる様をいい、
一般に「びっしょり」とか「ぐっしょり」などという。
また、シトトはシトシト・ジトジトの略とも解される。
この場合もひどく湿っているとか、濡れている様子を
表わす語であるから、湿地を意味するシト・シド系地名の範疇に含まれよう。
ヤはヤチ・ヤツ(谷)の下略であるので、シトトとヤは
同意語を重複させたものである。
なお、神鳥谷地内には湿地・窪地などに関わる一の久保・亀久保・谷(や)中・新宿・溜下(ためした)・横谷などの小字が散在している。」
4.「小山郷土之由来 : 附・吾家のしるべ」
「鷲明神及神鳥谷の起源」の項あり。神鳥谷のフリガナ
なし。
「天慶二年平将門の乱を起こすや藤原秀郷之れを征討するに先ち諸神に戦捷を祈願せしに武蔵鷲明神感應ありたれば
戦勝の後其分霊を太田庄に鎮座し奉りけるを後世小山政光の弟下河邊行蓮の子僧の光仏太田の庄より之れを此地に勧請し給ひしが一族及衆生の崇仰厚く鷲を神鳥と称し遂に此地を神鳥谷と呼ぶに至れり」とあり。
栃木県小山市の神鳥谷(シトトノヤまたはヒトトノヤ)の地名の由来が知りたい。 | レファレンス協同データベース
道祖土(さやど)
住所
栃木県真岡市道祖土
【由来】
八溝山を越えるための道祖神があることによると思われる。
【個人的な見解】道祖神の別名に塞の神や障の神( さえのかみもしくはさいのかみ)があり、意味の一つに旅の安全を守る神がある。
道祖(さや)の読みは上記の「さえ」もしくは「さや」が転訛したものと
思う。
真岡(もおか)
住所
栃木県真岡市
【由来】※諸説あり。
1.アイヌ語「マオカ」に由来し、風の強くあたる所・風の通る道の意から、台町一帯の風土がこれに該当し、
マオカがモオカになったという。
2.真岡の真は美称で、台町一帯の丘(岡)が精美であるので、真岡になったという。
3.鶴が舞う丘の「舞丘(まいおか)」が「舞丘(もうか)」と言われるようになり、「真岡」と書かれるようになったという。
接骨木(にわとこ)
住所
栃木県那須塩原市接骨木
【由来】
庭床とも書く。地名は、永長年間当地に上都賀郡日光鉢石宿の浪人大島監物が土着し、ニワトコを植えて肥料木としたことにちなむという。
※ニワトコ(接骨木、庭常)はスイカズラ科ニワトコ属の
落葉低木または小高木。
上三川(かみのかわ)
住所
栃木県河内郡上三川町
【由来】※諸説あり
1.当時の河内郡内にあった三川郷に由来するものと
言われている。
2.上三川にある3つの川(鬼怒川・江川・田川)が
由来とされる。
汗(ふざかし)
住所※西汗と東汗があります。
栃木県河内郡上三川町西汗
栃木県河内郡上三川町東汗
【由来】※確たる由来は不明。
元々、ふざかし村(もしくはフザカシ村)がありました。
この名が付いた由来は、中世のころ鬼怒川舟運の船着場がここにあって、船の航行を許可する鑑札(通行証)を
貸していたことから
「札貸(ふだかし)場」「札河岸(ふだかし)」と
呼ばれ、それが「ふざかし」に転訛したとされます。
汗がフザカシと呼ばれる由来については、フザカシ村には古刹・満願寺があり、この寺の薬師堂に祀られていた
薬師如来坐像が願をかけると
汗をかくということから「汗かき薬師」「汗薬師」と呼ばれ篤い信仰を集めていたそうです。
この「フザカシの汗薬師」が近在の人々の評判になり、
やがて「汗」一字で「フザカシ」と読むようになったと言われます。
栃木県上三川町の東部に「西汗」、「東汗」という変わった地名がありま… – 旅の知恵袋 – Yahoo!トラベル
船生(ふにゅう)
住所
栃木県塩谷郡塩谷町船生
【由来】
鶏岳(にわとりだけ)の東麓、船木沢の渓間に
周囲3m余の大木の槿があった。
これを伐採して彫船を作り鬼怒川に浮かべて、村民が旅人の通行に便を与えたことによると伝えられる。
薬利(くずり)
住所
栃木県那須郡那珂川町薬利
【由来】
和銅年間葛(かずら)の里と称し、葛里が音続されて
「くずり」となり、薬里から薬利と書かれるようになったという。
栃木以外の関東地方の難読地名